農村の生活

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農民とは地主(ジェントリー)や貴族からわずかな土地を借り、作物を作って生活する人々です。

ほとんどが小規模な土地を借りる小作人で、家族総出で農業に勤しみました。ほぼ自給自足の生活でしたが、服や薬などを買うため、現金も必要です。
だから、農家の主婦や子供が裁縫や刺繍の内職をしたり、領主のお屋敷の家事手伝いをして収入を得ました。
羊番

生活が貧しく、たまの贅沢がベーコンを食べること。その豚は家で育て、年に一度、食料にするため屠殺しました。一頭分の豚を一年分のベーコンやラードを主婦が作りました。

豚を食用にしたとき、ご馳走を食べますが、それ以外の日常はほとんど質素な食事でした。朝はトーストとラードかジャム、夜は甘い果物のプディングと一切れのベーコンに採れたての野菜をボイルしたもの。
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どの家も家庭菜園をしていたので、野菜と果物はたくさんありました。もちろん、ジャムも自家製です。
よく作られ食べられた野菜は、ジャガイモを始め、セロリ、カリフラワー、エンドウ豆など。果物はすぐりの実やベリー類。

単調な村の生活でしたが、年に数度ある行事が大きな楽しみでした。
とくに賑わったのが子供たちが主役のメーデー。5月に行われ、メイポールダンスやゲーム、花を飾っての行進を楽しみました。牧師館や領主の屋敷へ訪問しました。
メイポールダンス

男たちは畑仕事に出ました。自分の畑だけでなく、領主の農場へ請われればいつでも働きました。農園はいつも人手不足で歓迎されたのです。
とくに重宝されたのが、乳搾り、藁葺き、羊の毛刈り、溝掘り、生け垣作りでした。さらに羊番や鍛冶屋、牧夫、荷馬車職人は専門職として、雇われていました。
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男たちの楽しみはどの村にも一軒ある、パブでの飲酒です。
ほとんどの男たちが毎夜、パブでビールを飲み、たばこを吸います。女子供は入れず、男だけのくつろぎ空間でした。
労働者に選挙権が与えられると、政治談義に花を咲かせました。
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女たちの仕事は家庭の切り盛り――家事です。当時、女性が畑仕事をすることはあまり好まれておらず、困窮したり夫に先立たれたり独身の女性以外は、たいてい家庭に入りました。

現代のように家電どころかガス、水道、電気がありませんからすべて手作業です。とくに水汲みが大変だったようで、毎朝、重いバケツを運びました。
重労働だったのもあり、20世紀が近づくにつれ、夫の仕事になりました。

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女達の楽しみは主婦同士が集まってお茶を飲みながらの世間話。しゃべるだけでなく、刺繍やレース編みもしました。

あとは、甘いロマンス小説を読むことで、女同士集まったら必ず感想を語り合いました。だれか一冊買えば、村の女達ほぼ全員が回し読みされるほどのブーム。
しかし子供と夫には知られてはならず、こっそり食器棚の上やベッドのなかに隠していました(見つけた子供は、こっそり読んでいたらしい・笑)
牧歌的な農村イラスト

1870年から公立小学校の義務教育が開始されますが、働き手が減ることを嫌がった農家の親たちは、学校へ通わせないことがありました。
とくに娘に教養をつけるのは、外の世界へ興味をもって家事をせず贅沢をしようとすると信じる親が多かったのです。

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ほとんどの娘たちは小学校を卒業すると、メイド奉公へ出ます。その前に一年ほど、近くの商店や牧師館などで働きます。まだ幼い少女だから、雇い主は親切でした。

そんな農村の女性たちの生活も、第一次世界大戦後から変わりました。
戦争でいない男たちの代わりに働くようになり、現代のようにだんだんと自立していったのです。

参考文献
ラークライズ
ラークライズ
↑1880年代の農村の生活を描いた少女時代の回想録。内容はとてもわかりやすく、語り口調で読みやすいです。