ロンドンの霧

A CABBIN' IT COUNCIL IN NOVEMBER.
霧の都ロンドン。19世紀のロンドンを舞台にした物語によく出てくるおなじみのフレーズです。霧といえばもやっとした白い霞を連想しがちですが、その正体は石炭が燃やされる時に出る大量の煙――こげ茶色の粉塵です。いわゆる大気汚染。

当時、暖炉やオーブンだけでなく、蒸気で動く機械が稼働する工場、蒸気機関車、蒸気船等等、石炭が生活のエネルギーとして使われていました。だから暖炉を使用しない夏は、青空が望めますが、秋に入ると空は鳶色に濁ります。

さらに寒くなると煙がロンドンの空と街をすっかり覆ってしまい、松明がないと表を歩けないほど。真昼だというのに街灯がついていたほどです。
それほどの大気汚染になると、表を歩くだけで煤で服が汚れてしまいます。そのため当時の服は黒か濃紺が主流でした。汚れが目立たない色です。
粉塵で痰も黒く染まり、咳が止まらなくなるほど。当時、肺を病んでで亡くなる人が大勢いました。喘息や肺がんです。

Piccadilly Circus, London, England

ロンドンへ留学していた夏目漱石は、外出先から下宿先にもどる前は、公共浴場で身体を洗っていました。外出するたびに真っ黒になるのですから、相当の汚染度です。
もちろん、服も煤で汚れてますから、メイドたちもスーツの手入れに苦労していたでしょう。当時のメイドは煤払いが日課になってましたが、大気汚染がひどいと掃除も大変でした。エプロンが真っ黒になるエピソードに納得です。

大気がそれだけ汚染されてしまうと、どうしても家にこもりがちになります。表を出歩けないぶん、冬は暖かい屋内での団欒が最高の幸せという価値観が一般的でした。

2013年現在でも大量の石炭を使用している中国の大気汚染――19世紀ロンドンの霧のなかの街はあのような光景だったのかもしれません。

London Bridge, London