鉄道~蒸気機関車とロンドンの駅

Locomotive for train on which Jefferson Davis fled from Richmond in April 1865

・鉄道以前

長距離の移動にはメイルコーチ(急行郵便馬車)を使った。細かい砂利で舗装された道路――のちのアスファルトの上を、猛スピードで走る。郵便はもちろん、乗客も運んだ。
道程の途中に駅(イン)があり、そこで馬車を替えたり、休憩、飲食や宿泊をとった。
郵便馬車

・鉄道の普及

1830年にマンチェスター・リヴァプール間の鉄道が開通すると、たちまち評判になり、たくさんの乗客が利用する。
それを契機にいくつかの鉄道会社が現れ、次々と他路線の鉄道を開通させた。建設ラッシュが落ち着くと、撤退する鉄道会社が出てくる。安い運賃で乗る客が多く、採算が取れなくなったためである。

弱小化した会社を大会社が買い取り、鉄道王と呼ばれる経営者が出てくるほど巨大化した。
しかし民間鉄道は基準も運賃も会社によってバラバラ。
そこで1844年、政府が規制に乗り出し、最低一日に一本は低運賃の列車を走らせることや、線路の幅を統一させた。

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・客車クラス

一等客車……最も高価な運賃。貴族や富豪など裕福な者しか乗れなかった。
箱馬車のような客車を連結したため、車両を行き来できなかった。ソファに向かい合って座る。ホームと直結したドアは、安全のため内側から開けることができなかった。
だから列車が走行中のあいだは、密室となるも、見知らぬ若い女性と紳士が同席することもあった。
トイレや助けを求めることができるよう、19世紀末に側廊列車が登場。長距離走行の列車や寝台車に使われた。
ホームズとワトスン
↑シャーロック・ホームズ挿絵より

二等客車……一等と三等の中間。
二等客車

三等客車……貧しい庶民が乗る客車。初期は安い運賃のため、屋根や座席がなかった。1844年に鉄道法が施行されたことで、最低限、屋根や木の座席が設けることが義務になる。運賃は1マイルあたり1ペニーを超えてはならなかった。
乗り心地は悪くても、三等列車に乗る客はとても多かった。庶民の足となったのである。

ホームズとワトスン
↑ホームズたちは一等客車(ファーストクラス)を利用していたことがわかる挿絵。

駅の売店――キオスクでは、煙草、チョコレートやキャンディ等のお菓子、雑誌、大衆小説などが売られていた。移動中の暇な時間をつぶすのに必要だった。
マフィンやオレンジの売り子もいた。

・ロンドンの主な駅(ターミナル)

Main Lobby of the Terminal Building, Texas & Pacific Railway Company

ロンドン駅という名の駅は存在しない。なぜなら、全ての駅が別の鉄道会社だったからだ。終着駅であるターミナル同士は繋がっていない。別の路線へ行くには、それぞれ馬車や地下鉄で移動し、乗り換えなくてはならない。
不便だが、当時のロンドンらしい描写ができる場面でもある。
ちなみにターミナルの上層部は高級ホテルとなっており、鉄道会社の重要な収益のひとつだった。

ユーストン……北方面。マンチェスター、リヴァプール、スコットランド、アイルランドへ向かう路線。
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セント・パンクラス……北西方面。キングズ・クロスに隣接する駅。

キングズ・クロス……北東方面。ヨークシャー地方へ向かう路線。

ブロード・ストリート……バーミンガムへ向かう路線。ハムステッドからシティへの通勤に利用された。

リヴァプール・ストリート……シティ区最大の路線で、東の沼沢地方へ向かう。三等客車の利用が多く、郊外から通勤する庶民の足となった。
Liverpool_Street_station_entrance_Bishopsgate

フェンチャーチ・ストリート……テムズ河南のドッグを行き来する、シティにある小さな駅。

ロンドン・ブリッジ……南東方面。ブライトン、ドーバーへ向かう路線。ロンドン橋のそばにあり、交通の便が良かったため、乗り入れが多かった。

キャノン・ストリート……南東方面。ブライトン、ドーバーへ向かう路線。シティ南部の駅。

チャリング・クロス……南東方面。ブライトン、ドーバーへ向かう路線。ウエスト・エンド、トラファルガー広場の横の駅。

ホーバーン・ヴァイアダクト……シティの商業地区とテムズ南側の住宅地を結ぶ短い路線。小さな駅であまり知られていない。

ウォータールー……南西方面。サウサンプトン等へ向かう路線。ロンドンのなかで最も路線が多い駅。乗り換えで迷いやすい。
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ヴィクトリア……南東方面。ブライトン、ドーバーへ向かう路線。路線ではなく、独立した停車場として建設された会社。バッキンガム宮殿近くの駅。ブライトン側、チャタム側の路線会社に分かれており、1923年に統合されるまで、一つの駅を壁で仕切った。
Victoria station

パディントン……西部方面。ブリストル等へ向かう路線。ロンドン西側にある駅。

・地下鉄

地表線……1860年代から、都市の過密化により、馬車でなく地下に列車を走らせるようになる。蒸気を逃すため、ところどころ通気するための穴を地表に出した。しかし完全に煙が逃げず、換気が悪かった。地表の浅い場所を通る、半地下型の列車。
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↑地表線(メトロ)のホーム。

チューブ……地下深くトンネルを掘った路線。1890年開業した。電気機関車の登場で煙から解放される。客車クラスがなく、当時としては画期的だったものの、窓のない四角い空間が、まるで棺桶のようだと市民から揶揄された。

おまけ
・ロンドン路線地図
ロンドン路線地図 さらに詳しい地図⇒Flickr Search: sysnum002250888 | Flickr – Photo Sharing!(大きすぎてアップロードできず(^_^;))

1870年代ロンドン地図 路線図付きのマップ 1870年代

・客車に居合わせた人々……パンチ挿絵
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・参考書籍
英国鉄道物語
英国鉄道物語
各ステーションの詳細や地図、鉄道にまつわる文学についてさらに知ることができます。