レディの結婚

Portrait of Kathryn Stuart Lines Thornton in her wedding dress
レディ(令嬢・お嬢様)が結婚するには、身体だけでなく心も無垢でなければなりませんでした。13歳になったら寄宿学校で世間を学ぶ男子とはちがい、女子は社会から隔絶されたまま成長します。
家の中で家庭教師に花嫁修業を躾けられました。礼儀作法や針仕事、刺繍、ダンス、ピアノなどです。さらに厳格な親になると、まったく世間と接点のない修道院へ送りこまれました。

そして16歳になると、世界が一転。きらびやかな社交界で結婚相手を見つける必要がありました。伯爵以上の爵位を父に持つ令嬢は、宮中で女王陛下へ謁見したのち、社交界デビューします。
だいたい18歳ぐらいで上流階級の令嬢は結婚します。それに対し花婿になる男性は、結婚年齢が遅めだったそうです。年の差婚は珍しくありませんでした。

Eleanor Wilson -- (Mrs. W.G. McAdoo) [in wedding

男女の駆け引きに慣れていない令嬢たちは、ほとんど母親の言いなりでした。舞踏会で踊る相手を招待状にメモしておき、その順番どおりにパートナーを組みます。もちろん、だれと踊るのかも、母親が予め書いておくのです。
そして重要なのは、爵位を継ぐ嫡男を狙うこと。次男、三男だと財産を相続できないため、パートナー候補の可能性は低くなります。

そして無事、身分にふさわしい婚約者を見つけたら、嫁入りの支度がまっています。花嫁衣裳はもちろん、嫁入り道具としてフリルのついた下着、産着、カバーやシーツといったリネン類も大量に持参しました。あまりにも数が膨大になるため、金額も相当かかりました。
あとは祖母や母から譲り受けた宝石や貴金属です。

もっとも重要だったのが持参金。娘が嫁ぎ先で困らないようにと、父親が用意します。裕福な家庭ほど、持参金も多く、貴族が凋落し始めた1880年代以降は、アメリカ人富豪の娘と結婚する貴公子もたくさんいました。持参金が多いと、妻の衣装代などの出費が減るためです。
その代わり、勝手に夫が使い込まないように、夫婦財産を別にする契約書も花嫁の父が作りました。

Bride Prieva Rickles Smith with wedding party

教会で結婚するためには、挙式前の日曜日ごとに3回ほど婚姻予告を公示する必要がありました。申し立ての異議がなければ、結婚を許可されます。秘密婚や重婚を避けるためでした。(1754年ハードウィック婚姻法の施行)

すぐに結婚したいときや、公示を避けたいときは許可証をとって挙式することも可能でしたが、費用がかかりました。およそ5~50ポンドほど。
お金を払う必要があるため、上流階級では結婚許可証をとって結婚するのが普通でした。一種のステイタスです。あとは花婿が戦地へ向かう前、すぐに結婚する時も結婚許可証が使われました。

花嫁の服装は繊細なレースがついた白いウェディングドレスとベール。素材はシルク。頭には薔薇とオレンジの花輪をつけます。
花婿は紺色のフロック・コートと白いチョッキ、明るい色のネクタイとズボンに白い手袋です。黒は縁起が悪いということで、好まれませんでした。

白いウェディングドレスはヴィクトリア女王が始めたことで広まりました。それまでは銀色が主流でした。ブーケトスやライスシャワーはまだ19世紀にはありませんでした。

教会の挙式にはさきに新郎側が到着し、新婦を待ちます。ただ式が始まるまではたがいの姿を見てはならず、控え室に付添人と待機します。
いよいよ式が始まると誓いの言葉を述べ、指輪の交換。教会の登録簿に名前を署名したことで結婚の証明になりました。

無事、挙式が終わったあとは披露宴でご馳走を食べます。その後は、新婚旅行へ向かう夫婦を見送って終わります。

Ready for the wedding reception to begin, Merthyr, 1894

婚姻は21歳以下の場合、親の同意がないとできません。
駆け落ちなどで親の反対を押し切って結婚したい場合は、どこかの都会へ出てしばらく住んだのち、事情を知らない牧師に頼んで結婚予告のあと挙式しました。

もしくはイングランドの境にあるスコットランドの村、グレトナ・グリーンに行きます。三週間住んだのち、宿屋の一室でスピード挙式しました。牧師はおらず、鍛冶屋やタバコ屋の主人が小銭稼ぎのために、執り行います。証人もお金を払って村人に頼むのですから、おごそかとは言いがたかったようです。

Wedding of Ella Leubsdorf and Dr. Alfred Levison

図説 英国貴族の令嬢 (ふくろうの本)
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