フランスの使用人

W.G. Sharp's home, Ave. d'Eylaua [i.e., d'Eylau], Paris (LOC)

イギリスと同様、フランスにもメイドや執事がいましたが、大きなちがいはありません。

・雑役女中

プチブル(中流の下)家庭で働くメイド。同僚はなく、一人で家事をこなす。仕事はかなりハードで、朝から晩までひたすら働き、夜はアパルトマンの屋根裏部屋で眠る。台所仕事、掃除、奥さまの身繕い、裁縫、(トイレが各部屋になく)主人のおまるの始末、買い物、下着の洗濯、重いバケツを持って水汲み……などなど。

メイドといえば雑役女中というほど、当時のパリにはたくさんいました。メイドを雇っていなければ、プチブル階級とみなされないため、生活が苦しくても雇うことがステータスのひとつでした。イギリス同様です。

Paris Exposition: street scene, unidentified, Paris, France, 1900

上流階級になると、屋敷に大勢の召使を雇っていました。

1906年ミュラ大公の例。
・食事関係:料理長1名、助手3名、料理女中1名、見習い1名
・受付および配膳関係:給仕長1名(執事)、銀器係1名、受付ボーイ2名、受付ガール1名、従僕5名
・私室およびシーツ関係:女中頭1名(家政婦)、部屋付女中3名、見習い2名、部屋付ボーイ1名、シーツ係女中1名
・厩舎および馬車自動車関係:整備工2名、洗車係1名
・その他:子守女中2名、門番と妻、庭番と妻、邸宅管理人(家令)、その他。

年収6万フランの退役海軍将校の例
・部屋付女中1名(ハウスメイド)、料理女中1名、部屋付ボーイ兼給仕長1名(執事)。

分業制で召使を雇うことが、アッパー・ミドル(中流の上)の条件だったのも、イギリス同様です。

そしてメイドが男主人や若様に狙われるのも、同様。妊娠させられてしまうと、泣く泣く実家にもどります。親がやり手だったら、子連れを承知してくれる男性を探し、結婚させます。

イギリスと若干ちがうのが、部屋付女中――侍女の権力。大人の恋愛が盛んなお国柄のため、奥さまの秘密を共有し、愛人同士がかち合わないようマネジメントをするのも侍女の仕事です。
小説「ナナ」のゾラがまさしくそれで、ナナはゾラがいないと何もできないほど依存してしまいます。ゾラはことあるごとに小遣いをもらい、侍女をやめたあとはカジノ経営で裕福になるエピソードがあります。

W.G. Sharp's home, Ave. d'Eylaua [i.e., d'Eylau], Paris (LOC)

・門番女

イギリスになくてフランスにある使用人職種に、門番女があります。いわゆるアパルトマンの管理人。
門番がいなくて、門番女ばかりなのは、女のほうが給料が安くすむから。門番女たちは、たいてい舞台女優が引退した女なのもあり、運があれば女主人のような生活ができたのだと、嫉妬も多かったとか。

そんな門番女は貧しいながらも権力を持っているため、たびたび間借り人とトラブルを起こしていました。
とくに多かったのが、間借り人が暗い廊下や階段を歩くときに使う、蝋燭の燭台を預かるのを拒否すること。あと、夜遅く返ってきた間借り人を入れず、門を開けないこと。そしてもっとも困った嫌がらせが、手紙や小包を手渡さない、あるいはかなり遅れて渡すこと。そして、転居したあと訪問者に間借り人の新しい住所を教えないこと。

間借り人たちは門番女に嫌われないよう、礼金という名の心づけを渡します。新年にはお年玉も。
荷馬車が来れば薪を、肉屋やパン屋八百屋が来れば付け届けを。
もしそれらを拒むと、悪い噂をあちこちに流されてしまうため、間借り人だけでなくアパルトマンのメイドたちも、門番女を恐れていました。

・乳母

乳母といってもナニーのような育児婦ではなく、文字通り乳を与えるだけの職業。実入りが良かったので、子供を産んだ貧しい母親がこぞって、裕福な家庭で働いたといいます。斡旋業者もあり、まさしく人乳市場。
そして乳母の子供はどうされたのかというと、官営乳母斡旋所の乳母に預けられました。給料が低く決まっていたため、プチブルが利用しないほど質の悪い乳母しか集まらなかったのです。

どうやらフランスの使用人は、イギリス以上に心づけ(今で言うチップ)が多く必要だったようです。渡さないと陰湿な仕返しがあるほどに、権力を持った使用人もいたのですから……。

参考文献
職業別 パリ風俗
鹿島 茂
4560082251
絶版(?)なのがもったいないほどの良書。お針子、公証人、仕立屋、乳母……などいろんな職業を紹介しています。