劣悪な環境にある下層階級の人々――貧民に、上流や中流階級のようなモラルはなく、その日暮らしの憂さ晴らしにパブで酒を飲み、家庭内暴力が耐えません。夫が妻に暴力を振るい、その仕返しや身を守るために妻もまた夫に反撃。
それを見た子供たちも素行が悪く、家にいたくないあまり浮浪児になって家を飛び出す少年少女も数多くいました。
その日、食べるものがなく、スリや窃盗をしてしのぎます。警官に捕まると留置所に入れられ、監獄へ送られるのですが、たった8歳の少年が盗みで死刑になることもありました。現代のような未成年を守る法律はまだありませんでした。
犯罪には窃盗やスリのほかに、殺人や暴力はもちろん、売春、浮浪も入ります。かなり刑罰も厳しく、ささいな盗み――例えばレモン2つやキャベツ1個でもムチ打ち刑や監獄での懲役刑になりました。
・監獄へ至るまでとその生活
罪を犯し、警察に逮捕され、留置所へ入れられます。裁判が始まるまでそこで過ごしますが、狭い牢屋に数人押し込められ、かなり不衛生でした。
裁判の日、ブラック・マリアと呼ばれる護送車で運ばれます。判決ののち、また護送車で監獄へ運ばれるのでした。
監獄での生活は、重労働に不味い食事、固いベッドの毎日で、栄養状態も衛生状態も劣悪でした。
固いパンと得体の知れない脂肪と何故か筋張ったスープのメニューだけにも関わらず、あまりの不味さで食べられないほど。日によってジャガイモが出てきたおかげでなんとか飲み込め、生き延びることができたのだと、当時の囚人は語っています。
風呂があっても水のように冷たく、監房は絶えず冷たい隙間風が吹いてました。身体を壊す囚人も多く、ときには死んだほうがマシだと思う者がいるほどでした。
労働はサンドバッグやハンモックを縫ったり、甲板の隙間を埋めるマイハダを編んだり、裁縫、ガラス磨き、マットづくり、造本、彫刻、ブリキ加工、宝石磨き、衣服の仕立て、織物、糸紡ぎ、材木磨きなどなど……。
しかしほとんど出所してもそれらの技術はモノにならず、徒労に終わることが多かったようです。
監獄は男女別で、女性も男性同様、劣悪な環境での生活でした。
犯罪者同士が仲良くなり、出所後も悪の道に戻らないよう、沈黙は絶対でした。それも監獄暮らしの苦痛のひとつでした。
・警察の組織と仕事
ロンドン警視庁――通称、スコットランド・ヤードが有名です。13世紀ころまで宮殿があったその地名から、スコットランド・ヤードと呼ばれました。
1829年に設立されたロンドン警視庁は、初め借家でした。本館はホワイト・ブレイス街に4番地にあったのは、1829年から1890年まで。
その後、組織が大きくなると、1891年テムズ河畔に新庁舎が落成します。計画は1870年ごろからあったのですが、予算がなかなかつかず、ようやく念願の引っ越しでした。
ロンドン警察の階級。上位順。
警視総監……ヴィクトリア女王によって任命される親任官。警察行政の長官であり、ロンドンとその周辺7州の治安判事を兼ねている。
副総監……総監を補佐する親任官。2人体制。
警視……各管区で治安維持にあたる多くの警官を指揮監督する。
警部……内勤主任である警察署長と、外勤主任に別れる。ちなみにホームズシリーズに登場するレストレイドやグレグスンは外勤主任。
巡査部長……パトロールが主な仕事。部下である巡査をまとめる。
巡査……担当区のパトロール。日勤、夜勤とも長時間ずっと歩き回る。その距離、一日平均、32km。朝、労働者の家の窓を叩いて起こす目ざましや、夜盗の警戒、犯人逮捕、木賃宿への立ち入り検査、交通整理、売春婦の取り締まり、劇場やホール設備の点検、火事の発見と報せと被害者の救助、野次馬の排除などなど、数多くの仕事があった。1870年代に入ると、それに動物保護――おもに犬、路上のゴミ拾いもやった。
ロンドン警視庁を模範として創立された地方警察もだいたい同じ仕事でした。とくに力を入れたのが、犯罪者も多い浮浪者の取り締まりでした。
・おそまつな科学捜査
当時、まだ法医学や鑑識、科学捜査などなく、指紋同定法が始めて設立されたのが、1903年のアメリカでした。1930年代まで、犯罪者のデータを記録するプロファイリングもなかったのです。
シャーロック・ホームズが自ら犯罪現場へ足を運び、塵やゴミなどの証拠を集めたのは、当時まだ鑑識が確立されていなかったためでした。
19世紀末ごろまで死体解剖の実習は一般家庭の台所で行われており、その死体は死刑囚の遺体でした。
おもな参考書籍
罪と監獄のロンドン (ちくま文庫)
↑当時の囚人の生活を詳しく知ることができます。
シャーロック・ホームズの科学捜査を読む
↑マニアックなため記事ではほとんど紹介していませんが、当時の科学捜査について知りたいときにおすすめです。
スコットランド・ヤード物語
↑警察編の参考書籍。絶版なのが残念。
囚人たちの写真