通信~郵便・電信・電話

・郵便(手紙)
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1840年に切手が発売されるまでは、受取人が郵便料金を支払うシステムでした。
枚数と距離によって料金が異なり、ときには払えず受け取れなかったため、庶民は気軽に手紙を出せませんでした。
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↑1840年5月1日に発売された初の1ペニー切手(ブラックペニー)

差出人が1ペニーの切手を貼るだけで、どこへでも郵送できるようになると、郵便の量が一気に増えます。
そのころ、郵便馬車が鉄道輸送に変わったのもあり、郵送スピードも上がりました。

・電信
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↑1906年の電信機

18世紀末に光学式テレグラフが発明されました。
テレグラフとは装置で記号を作り、それをアルファベットに当てはめて、相手へ送信する機器です。光学式=肉眼で見える距離に装置がありました。

1837年、モールスとゲールが電気式テレグラフで特許を取得します。電気信号の合図(モールス符号)で通信を行うため、電線があれば遠距離でもやりとりが可能になります。
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↑1869年の電信機図面

画期的な発明は瞬く間に世界中の都市へ普及し、1858年には通信ケーブルが大西洋を横断。国境を越え、大陸をまたいだ通信により、一気に情報伝達のスピードが上がりました。郵便では考えられないほど、情報量が増えていきます。

外国の新聞記者がその日にあった出来事を、即日、送信。新聞社がそれを記事にし、新鮮な世界中のニュースを人々が読めるようになりました。情報化時代の始まりです。
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↑新聞を読む井上侯爵

電信局では膨大な量のメッセージが飛び交い、ネットワークが混乱することもありました。そして通信オペレータ同士のやりとりが生まれ、現代のチャットのように遠距離の相手と会話もしており、そこから生まれる恋もあったほどです。
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↑1897年の慌ただしい電信オフィス

電信局が受け取ったメッセージは電報として、各家々に配達されました。
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↑1897年のイギリスの郵便局

・電話
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電信のテクノロジーが進化していくにつれ、音声での通信ができるのでは、と研究が進みます。
19世紀末には電信の符号は自動化され、熟練のオペレーターがいなくても通信ができるほどでした。
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↑自動電信受信機

1876年にベルが電話の特許を取得すると、アメリカではすぐに普及していきました。音声で直接やりとりするため、電報とは比較できないほど情報を入手できました。
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↑1906年の電話機

1879年イギリスにも、電話交換局ができましたが、電話の普及率は20世紀に入ってもかなり低いまま。
政府が電話の普及は個人単位ではなく、国益優先にしたためです。認可がなかなか下りず、電報が主流でした。
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↑1906年の電話交換局 当時、オペレーターは若い女性の仕事でした。

ちなみに電話を発明したのは、1861年、ドイツのライスです。グレイを始め、ベルは電話を研究している人々と仕事をし、特許を取るために奔走(あるいは策略)したと現在では知られています。

ヴィクトリア朝時代のインターネット
ヴィクトリア朝時代のインターネット
ヴィクトリア朝の電信について詳しく知りたいときにおすすめ。現代のインターネットに通じる、急激な情報化時代の悲喜劇が書かれています。