↑お仕着せ姿の従僕と小姓たち。半ズボンと絹ストッキング姿が18世紀風。写真は19世紀末頃。
現在のように執事養成学校や試験などありません。ひたすらキャリアを積んで、転職しながら上り詰めていきます。
使用人になる少年たちは、だいたい農村の出身でした。まず、親戚や知人のつてを頼って12、3歳ごろ、近くの商店や中流階級のお屋敷で仕事をします。下男として、雑用をこなしながら、使用人の仕事を覚えてきました。
その後、下男としてのキャリアをもとに、さらに大きなお屋敷へ転職します。さらに経験を積んだ彼は、従僕として別のお屋敷へ転職します。
そこで大きな壁が。従僕になるには手際よりも外見の良さが重視されるため、身長が伸びなかったら道はそこで絶たれてしまいます。最低でも170センチはないと厳しかったとか。
従僕としてさらにさらに仕事に磨きをかけていき、執事として転職したら、晴れて念願の執事に昇進できます。
男性使用人はメイドたちとことなり、出世しようとすれば転職は必須でした。なぜなら、彼らは上が辞職や転職しないかぎり、ポストに空きがないからです。同じ屋敷で奉公していても出世が見込めません。結婚退職するメイドたちと大きく相違する点です。
念願の執事になっても、お屋敷の待遇によっては従僕以上の働きをこなさなくてはならないこともありました。あまり裕福でない中流階級の家ではステイタス・シンボルとして雇っていたため、執事の部下である従僕が不在の場合があったからです。いわゆる名ばかり執事状態。
残念なことに、雇われている執事たちのうち、ほとんどは屋敷に男性使用人がひとりだけという状況でした。およそ年収1千万ポンドで、メイド3~4人と男性使用人ひとりが精いっぱい。部下が大勢いるような上流階級で奉公できる者は、限られていたのです。
そのぶん従僕がいれば、執事たちは彼らをこきつかいました。力仕事や面倒くさい作業は部下にやらせて、自分は優雅なお屋敷奉公です。もちろん、「クソッタレ上司め」と恨まれたでしょうが(笑)、その悔しさをバネにして従僕たちは執事を目指したはずです。