イギリスのある女中の生涯(リアルな少女メイドの回想)

イギリスのある女中の生涯(絶版)

第一次世界大戦前後のイギリスのある農夫の娘の回想記。
読み物としても面白いですが、その当時の資料としてもかなりの価値があります。歴史を語る際、ほとんどが上流階級の華やかな人々の物語ですが、これはその人々を支える名もない一庶民の視点から書かれているので、その当時の生活の厳しさがよく伝わってきました。しかしそれがたとえ不満でも疑問に思うことはなく、当然として受け止めているところが、階級制度に生きる人々の現実だったようです。

百年もたってないのに、当時の農作業の過酷さ。御主人様に使える使用人としてのつらさ。それでも生きるために、日々、朝から晩まで働いていた主人公の少女。しかし決して暗くなく、青春の活き活きとした日々が語られていました。生きる力が強くないと、暮らしていけなかったのもあるからでしょうね。
読んで気になった点をいくつかメモ。

・当時は多産が当たり前。結婚したら毎年のように子供を生むから、十人兄弟姉妹なんて珍しくなかったよう。家族計画という概念そのものが存在しない。しかし健康に成人まで育つ確率も低いようで、主人公の前に生まれた三人の姉も幼いうちにジフテリアで亡くなっていました。

・たとえ父親が貴族でも、母親が使用人だと妊娠が発覚したら屋敷を追い出され、その子供もまったく認知されることなく下層階級のまま。主人公の父親の父は爵位ある貴族だったようですが、職業は牛飼いでした。使用人として農場主のもとで低賃金の労働を強いられてもいます。主人公の母親も女中をしていた若い時分、屋敷の若主人様に強姦されて娘を実家で育てていた話もありました。

・義務教育が普及していたこと。初等学校までは農村の子供たちも学校に通えたようです。別の書籍ですが、ロシアでは識字率がとても低かったよう。いくら貧しいといっても、イギリスの教育制度はかなり進んでいたようです。父親も選挙に行ってましたからかなり民主的。あくまでもその当時のロシアと比較した話ですが……。

・屋敷に女中奉公する制服は各自で用意。なのに給金はとても少ない。主次第でかなり待遇が変わってくる。屋敷の規模が大きいと(公爵家など)、使用人の間でも厳しい上下関係が出てきてしまう。女中頭が主から預かった給金を着服し、下っ端の女中に給金が渡されないこともあったとか。ちなみに使用人で一番上位にあるのか執事。

・子守仕事の場合、御子息には距離を置いて接する。たとえば、坊ちゃんが転んでも手をかさず「これしきのことで泣いてはいけません。起きてください」と言葉で伝えたそう。母親としての役目までこなしてしまうと、主の奥様から嫌われてしまうため。

・使用人を辞める際、主からの紹介状がないと、次の奉公先はまったくない。運よくあっても使用人が一人しかいない住みこみの仕事程度。コミックで紹介している『エマ』にオールワークスのメイドを見下す場面がありました。これ読んで、「ああそういう意味か~」と納得した次第です。だから女中はひたすら忍耐。主に嫌われたら、紹介状を書いてもらえませんから。

・若い娘の女中仕事は、花嫁修業ととらえられていたようです。たいてい結婚したら白いエプロンを外すのですが、結婚相手が貧しいと歳をとっても働き続けます。主人公は七十歳をすぎても女中仕事をしてました。……というか、今でもイギリスに女中仕事が存在するのが驚きです。

※投稿 2006年01月11日