シェイクスピア贋作事件


シェイクスピア贋作事件

やっていることは大胆なシェイクスピアの贋作作りなのに、動機がとても単純。そのギャップが興味深く、面白かった作品です。

詩聖とされているシェイクスピアですが、彼が生きていた15世紀当時は、贋作事件の当時ほどに神聖化されていなかったようです。劇そのものも芸術ではなく、庶民の娯楽。だから生家だって末裔が肉屋を営んでおり、閉店してしまうと荒れ放題。出身の村人だって「シェイクスピア?だれそれ?」という反応だったとか。それが古典化されるにつれ、神聖化されていたという歴史も、贋作事件の伏線。
ウィリアム・ヘンリーはシェイクスピア文書の出所を、ある裕福な紳士H氏から譲り受けた。なぜならH氏はシェイクスピアに興味はなく、屋敷に眠っていたそれらの価値を知らなかったから、ゆずって欲しいと頼めば、入手できたと説明。でも真実は、H氏など存在せず、文書を作ったのはその張本人だったのです。

で、ウィリアム・ヘンリーがどうして贋作作りに手を染めたのかというと、「古典を収集している父親に認めて欲しかったから」。
ウィリアムは第一印象からして、「愚鈍な少年」だったことから、贋作作りが自分だと告白しても、最期まで父親は認めませんでした。息子がまさかかの詩聖の文章を真似て創作できるとは、信じることができなかったのです。それだけ見た目からして、ウィリアムは「劣っている」と思われているような人物でした。
でも中味というか、知性は高かくて意外にも手先が器用だったから、贋作事件のあとにも、数々の著作を出版しています。ただ贋作事件で悪名を高めてしまったため、あまり売れもしませんでしたが。
すごいのは、贋作のなかに二作も、長編劇の台本が含まれていたこと。オリジナルを参考にしながら、新たな話を作るのって、天才としか思えない。しかも一作書くのに、二週間とか……。すごい。
ただやはりというか、内容は本物には及ばず、父親が劇を公演するまえにその筋の専門家から、いろいろ指摘されてしまって、結局たった一度しか上演されなかったというオチつき。

全体的に読んで感じるのは、贋作だとすぐに見破れなかった紋章院の役人とか、王族のジョージ四世やウィリアム四世まで、本物だと信じるのが、時代的だなということ。これがあと半世紀あとだったら、あっという間に見破られたのかもしれないけど、あれこれ文書に矛盾があるのに、それらを検証することもなく、あっさり信じるのって大らかすぎ。
それだけシェイクスピアが書いたとされる文書は現存してなくて、どういう人物だったのかという情報も不足していたため、「本物であって欲しい」という当時の願望がそうさせたのでしょうね。
なんというか、大胆すぎる贋作者もすごいけど、あっさり信じるのもすごい。

もし父親が息子を少しでも認めてやることができたら、こんな大事件にならなかったのだろうな。
ウィリアム・ヘンリーって典型的な天才肌だけど、日常生活がうまく営めないタイプなんでしょう。現代で言う発達障害。それを認められない父親という構図は、現代に通じるものがあります。

投稿日2010年06月19日