幽霊を捕まえようとした科学者たち(ゴースト・ハンター)

幽霊を捕まえようとした科学者たち(絶版)

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第一印象ではオカルト的な内容かと想像しそうですが、中身はいたって真面目。当時、職業霊媒師が隆盛しているさなかに、疑問を呈した科学者たちが真正面から幽霊の存在を研究するのです。
面白いのは現在と変わらず、19世紀なかばには科学が発達して生活を便利にしていたため、幽霊などという不可思議で実態のないものは、「ごまかし」だと信じる人が多かったこと。ちょうど、ダーウィンの進化論が発表されたことも影響が大きいです。
一昔前だと神様を信じると同時に、幽霊とかあの世の存在も同じように信じているのかな、とおもいがち。でも実際はそうでもなかったよう。
ほかの19世紀のオカルトを扱った書物では、科学が発展していったため神の存在を信じられず、オカルトに人々が傾倒していた、とあったのに、本書は反対の内容です。内容の濃さと参考文献(おもに手紙)から察するに、本書のほうが正しいのではないでしょうか。

当時から職業霊媒師は雲散臭い者が多く、幽霊を研究するSPRによって、次々にトリックを暴かれていきます。有名なフォックス姉妹はもちろん、神智学の母として有名なブラヴァツキー夫人まで! 上記に挙げた類書ではまったくそんな気配なくて、本当に霊能力があったのかと思っていたけど、実際は彼女は天才的なペテン師だったのですね~。がっかりというか、当時もそれは周知の事実だったのでしょう。今でいう新興宗教の教祖様。
その点でも本書は信ぴょう性がかなり高いです。なにせまず疑うことから始まり、うんざりするぐらいのインチキのなかに、1パーセントの真実があるぐらいですから。

霊媒のインチキがないように手足を縛りつけたり、明かりを絶やさなかったり、テーブルやカーテンの裏を調べたり、交霊会に参加するときは偽名を使ったり、とあれこれSPRは真実か否かを調べています。
当時、とくに多かったインチキが、手足の関節を鳴らさすラップ音、石版をすり替える自動書記、カーテンの裏から現れる薄物を着た女、テーブルを浮かすための糸など。いわゆる奇術的で、大衆を騒がせたのもほとんどがこのパターン。

ただ一人ちがったのは、パイパー夫人の存在。
彼女は知り合いを通してジェイムズが研究するきっかけになったのですが、あまりの的中率の高さゆえ、それから彼女は長い間、SPRの実験に協力するように。
しかし霊という存在はあいまいだから、10あるうちの9が「本物」だと断言できそうな証拠があがらなかったとあります。トランス状態で彼女に乗り移った霊のメッセージの信ぴょう性は、日によって高かったり低かったり。不安定そのもの。

だから当然、SPRが新聞や雑誌で発表するたびに、幽霊を否定する科学者たちから、猛然と反論されるのです。そのたび、レッテルをはられてくじけそうになるも、真実を追い求めてどこまでも真面目に研究する人生に圧巻でした。
幽霊を懐疑するどころか、絶対に存在しない、と断言する科学者のなかには、ダーウィンはもちろん、エジソンも。ほかにキュリー夫人が降霊会に参加したり、と当時の有名科学者たちもたくさん登場します。反対に降霊会に傾倒していったので有名なのが、コナン・ドイルです。

前半は幽霊を追ってひたすら検証するのですが、後半、SPRのなかでもっとも懐疑論者だったホジソンの前に、パイパー夫人を通して死んだ友人が登場したところから、俄然、面白くなります。
そして話がもう少し進むと、すごいことに幽霊を研究していたSPRの亡くなった会員が、パイパー夫人や、トンプソン夫人の交霊会で出現するように!!!
まさしくミイラ取りがミイラになったということわざみたいに、年齢を重ねて亡くなった会員たちが次々と、幽霊になってメッセージを残していくのだから、圧巻。本書がすごい、と思ったのがそれです。眉唾なオカルト本は山ほどあれど、前半で活躍した科学者が幽霊になって研究対象にされるとは予想外すぎる。フィクションならともかく、これはノンフィクションだからさらにすごい。

そんな幽霊なった彼らのメッセージがこれまた興味深く、なぜ幽霊がはっきりと生きている人間の前に現れられないのかも、漠然とですが理解できます。あの世とこの世を行き来するのは、とても骨が折れるほど難しいらしい……。

ただ、幽霊と実際に会っていないと話の信ぴょう性が今一つ実感できず、隙あらばインチキをしてしまうサイコキネス霊媒師エウサピアの事件も手伝って、結局、真実はあいまいなまま、本書の主人公ウィリアム・ジェイムズは亡くなります。
20世紀に入ると、さらに科学が発展し、人々は幽霊の存在など信じることもなく。

読後に感じたのは、幽霊を捕まえようとしても、あの世とこの世を解明することは一種の絶対的タブーなのかもしれないな、と。解明が進みそうになるたび、なんらかの偶然が重なってとん挫するのですから。これもまた不思議。

投稿日2012年02月19日