※以前、別ブログにて公開した記事です。紹介した書籍タイトルは参考文献のページにあります。
女家庭教師(ガヴァネス)と女教師
もともと家庭教師という職業は、貴族が宮廷の王子や王女を教育することから始まりました。教養だけでなく礼儀作法も教えるため、伯爵や男爵の妻が役割を果たしていました。
やがて貴族や上流階級の子弟子女が、同じ階級の者から教育されるようになり、時代が降るにつれて資産家の中流階級も家庭教師を雇うように。ヴィクトリア朝には男性家庭教師(チューター)よりも女家庭教師が圧倒的に多かったようです。なぜなら当時は女余りの時代であり、貧窮した良家の独身女性がレディとしての体裁を保てる、ゆいいつの職業だったからです。
需要と供給の差が小さくなるにつれ、ガヴァネスたちの地位と待遇も悪くなっていきました。低賃金なのはもちろん、就寝時間以外はほぼ、仕事。子どもたちの教育はもちろん、子守や裁縫までこなさなくてはなりませんでした。
ちなみに男性家庭教師(チューター)は、家族同様の扱いだったそうです。聖職者等、上流階級の男性で高給ですから、教える生徒も同じく上流階級。パブリック・スクールに入れるための教育だったので、ガヴァネスのような裁縫や子守はもちろんなかったでしょう。(チューターに関してはほとんど資料がないため、詳細は不明)
さらに時代が降ると、1870年に初等教育法が成立したことで、小学校で教鞭をとる女教師も登場。彼女たちの社会的地位はここでも微妙で、田舎町のある女教師は園丁と結婚しました。ラークライズの筆者は「先生は自ら己の地位に答えを出した」とあったことからも、中流階級と労働者階級のちょうど境目ぐらいの身分になるのでしょう。
もうひとりの年配の女教師は、野心家でした。恒例となっている屋敷のお茶会では、堂々と正面玄関のベルを鳴らした入ったのですが、応接間にいたはずの先生は、生徒たちのいる階下の食堂に降りてきました。女主人が言うには「生徒たちの様子が気になるでしょうから、降りてくださいな」。
ガヴァネス(女家庭教師)・エマヴィクトリアンガイド・ラークライズを参考
階級別台所事情
煙や腐敗物の悪臭から主人たちが逃れるため、台所や厨房は地階(半地下)に作られていました。勝手口(裏口)も表から階段をくだって入るのが普通です。決して正面玄関から入ってはならないのが、使用人や商人たちの掟。
大きな屋敷は厨房のほかに流し場や、食料貯蔵室、スティルルームと呼ばれる菓子やジャムを作る部屋、冷蔵室、食器保管室、ワイン貯蔵室などたくさんの施設があります。料理人や台所女中たちは一日の大半を厨房ですごし、食事も休憩もおなじ場所。他の使用人たちは使用人ホールでした。
中流階級が住むような小さな館では、小さな地下の台所にひとりかふたりの女中が仕事をしていました。やはりここも薄暗くて換気も悪かったため、居心地が良かったとはいえないようです。
そして木賃宿に住む貧しい人々の家には台所がありませんでした。
じゃあどうやって料理をするのかといえば、ずばり、作りません!
重労働で帰ったあとで料理するのもままならないのはもちろん、街にはいたるところに屋台やパブがあったので、食事はそこで買うのが普通。奉公先からもらったような、たまの肉が手に入れば、家の暖炉で取っ手つきの焼き網をつかってローストしたのです。
ちなみにオーブンが石炭からガスに替わったのは、1930年代から。それまでガスは普及していたのですが、ガスで調理した料理はおいしくないといわれていたため、手間のかかる石炭を使っている家庭が多かったようです。
食で読むイギリス小説・図解メイドを参考
交霊会と降霊会
当時、上流階級の間で大流行しており、ホームズの生みの親であるコナン・ドイルが傾倒していたことは有名です。
霊媒師を通じて霊と交流するのが交霊会で、霊現象を楽しむのが降霊会。ちがいがいまひとつわからなかったので、字を見てなるほどと思いました。(参照: http://nakamura.whitesnow.jp/victorian.html)
ちなみに当方の作品のモデルになっている交霊会は、『霊訓』で知られているシルバーバーチ(白樺という意味)です。1920年から1980年ごろまでモーリス・バーバネルを通じて語られ、まとめたものが霊訓。彼はそもそも無神論者であり、ひやかし半分で交霊会に参加したのですが、不思議なことにシルバーバーチが降りてきて、霊言を語り始めたそうです。(参照:http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/)
モデルと拙作では時代はややずれますが、当時の交霊会についてくわしく書かれた資料がなかったため、サイトをいろいろ検索して調べました。
入院について
医師の実地訓練と慈善事業の意味合いが強いため、基本的に入院は貧しい者がお世話になる場所だったそうです。
上・中流階級は医者を呼んでの往診が普通。看護婦を雇って世話をしてもらいます。
食事はワイン(あくまでも薬として)と病院食にふさわしいといわれる鶏肉があったり、貧しい人たちにとってはとてもぜいたくなご馳走だったようです。
大きな病院になると(セント・バーソロミュー病院など)、薬品の研究や死体を解剖したりする実験室やホールもありました。ベーカー街に下宿する前のホームズも、ここで研究にいそしんでいました。
食で読むイギリス小説・シャーロック・ホームズの科学捜査を読むを参考
食品添加物
すでにヴィクリトア朝には、現代人が考えられなかったほどの添加物を食べていたようです。それだけ庶民たちに知識がないのもありますし、当時は今ほど、添加物の使用に対して厳しい基準が設けられなかったのもあるでしょう。
路地裏の大英帝国・インチキ食品の横行によると。
パンを白くするのにミョウバンや骨粉(収集場所は墓場・汗)。緑茶は紅茶ガラに緑青(猛毒です)を機会でプレス。茶殻を工場では顔料、黒鉛、紺青、うこんを使って再利用。コーヒーはチコリの根、これは有毒ではないですが、利尿作用があったようで、四分の一混入しているのは普通だったとか(コーヒーとは呼べないかも)。ビールのホップの代わりの硫酸鉄。漬物や瓶詰果実には硫酸銅。特に問題になっていたのが、水っぽい牛乳や混ぜ物の入ったパンやオートミールです。乳児の死亡率が高かった原因のひとつでもありました。
驚いたのは、それらの混ぜ物が問題になりだしたのが1820年。1860年にようやく「不純物食品取締法」が制定しました。その間、四十年もかかっています。
英国レディになる方法 によると。
安い人造バター(マーガリン)には有毒な添加物や量を水増しするために混ぜ物があったようです。大衆には安くて手軽なインスタント食品が持てはやされ、台所仕事が軽減されたのも、また事実のようでして、忙しい労働者の都市生活には欠かせない存在でもありました。
あと、食品ではないですが、壁紙にもかなりの量の有毒塗料が含まれていたそうです。特に緑の色には砒素が、赤には鉛が含まれてました。転地療法が効果的だったことから、その当時からすでにシックハウス症候群があったようです。ただ、当時は原因がはっきりしないため、単なる病気と片付けられてしまったのでしょう。
さらに恐ろしいのは、壁紙というものは張り替えるのではなく、古くなったら古い壁紙の上に新しい壁紙をそのまま貼ることです。カビもそのままですし、砒素もどんどん壁に蓄積されてもいきます。
食品添加物は産業革命がもたらした、都市生活労働者が避けては通れない問題のひとつのようです。それは現代でも変わらないのは、上記に紹介した書籍の存在が物語っています。
出生時の身分
すべての人生は母親で決まる? とくに印象的だったのが、『ある女中の生涯』の主人公、少女ウィニフレッドの父親。
彼女の両親は農夫で、父親は牛飼いでした。だから娘であるウィニーも当然のように13歳をすぎたころから、実家から遠くはなれたある農場主の館で女中として働くのです。まさしく典型的な農村の労働者階級の生き方。
けれども、父方の祖父は公爵家の若さま。長男がどうかは手元に資料がないので記憶してませんが、王族の血が入っているのはたしか。(公爵家=王家の近い親戚だから)
……ということは、主人公の少女って、やんごとなき御方の血筋の人!
のはずですが、実際は初めに書いたとおり、農村の娘として生きています。なぜなら祖母は、公爵家の女中だったから。恋愛だったのかどうかは定かではありませんけど、どんなに愛し合っていても結婚しない母親の身分が低ければ、その子どもも賤しい身分のままです。
幸いなことに、若さまの父親である公爵様が、生まれた私生児を憐れんでくださったようで、牛飼いとしての職と技能を与えられました。公爵家の放牧地で幼いころから働いていたそうです。
ちなみにそんなウィニーの父親は、労働党の熱烈な支持者。
当時、身分ある紳士に春を奪われたメイドさんたちが、泣く泣く私生児を生んだお話は山のようにあったようです。近代小説にも似たような話がたくさん登場していますから。
身ごもった娘たちはお屋敷で奉公はできないため、解雇になったあと、実家で子どもを生んだようです。けど、未婚の母から生まれた子どもは祝福されないのが常で、頼りにできる実家がない場合(または拒否される)、今度は救貧院のお世話にならなくてはなりません。
その救貧院が監獄より厳しくて貧しい生活を仕入られることで知られており、そこのお世話になることは、人生の落伍者をも意味します。
しかしまだその世界にも上下はあって、母親が亡くなった孤児はもっと悲惨だったようです。『オリバー・ツイスト』にありましたが、身寄りのない孤児は忌み嫌われ、ささいなことで悪人扱いされて罰を受け、まともな食事も与えられず(薄い麦粥とたまのチーズぐらい)、病死する子どもがとても多かったとか。
……ただこれは大衆小説なので、大袈裟に書いてある感も否めずですし、時代が下った当時はそこまでひどくはなかった可能性もあります。(資料なしなので漠然の推察)
さらにさらに孤児の下にいるのが、浮浪児(乞食)。いわゆる今で言うストリート・チルドレン。母親の事情で(おそらく私生児)教会で洗礼を受けていないため、姓はなく、たいてい名前だけで呼ばれています。
『小公女』にもありましたが、乞食の少女も姓がありませんでしたし、救貧院に入ることもできず(入れたら乞食はしてないと思われ……)、当然読み書きもできません。ちなみに漫画エマの主人公も、名字がないことから、そのように推察されます。
電気の普及
電気が本格的に普及しはじめるのは、第一次世界大戦後から。
裕福な家庭には二十世紀の初頭から電灯を使っていたようですが、あくまでもごく一部であって、大半はまだまだガス灯でした。
初めのころにあたった資料では、車も電気も二十世紀の初頭に普及し始めたとあったんですが、回想録や1920年前後の小説では、まだまだ前世紀の名残があったようです。
あと自転車も高級品で、貧乏人には高嶺の花でもありました。資料が異なれば、いろいろ状況もちがうもんだ(汗)
どちらを重視するか考えれば、やはり回想録が一番でしょう。実際にその時代に生きた人の証言なんですから、それに沿うことにします。
Dr.とMr.の医師
一般的に日本では、医師=「ドクター」と呼称されているものと思いがちですが、現在でもイギリスでは外科医は「ミスター」と呼ばれています。
そもそも内科医とは中世の聖職者に端を発し、星占いで患者を診察して薬を処方していたとか。医者というより占星術師に近く、技術よりも知識に重点が置かれていたため、博士=ドクターなのです。
一方の外科医はといいますと、中世の床屋から端を発しています。(床屋の赤青白の三色のマークは、血管と包帯を意味していたのが由来)。
傷口を縫合したり、膿を切開して出したりするのも床屋の仕事でした。職業人からの由来のため、外科医は「ミスター」なのです。
が、拙作における問題が。
外科医が医師として認められるようになったのは、19世紀の終わりごろから。しかし拙作は20世紀初頭。どこまで医師としての権威があったのかは、微妙な年代のため定かではありません。
天災や戦乱が起こらない限り、国の制度が変わっても世間というものはゆっくり変化していくのが常なので、内科医>外科医という設定にしております。
ちなみに内科医を主人公にしたドイルの小説では、内科医>外科医の図式がしっかりとありました。1880年台なかばの英国が舞台です。
投稿日2012年06月13日