ヴィクトリア朝時代のインターネット


ヴィクトリア朝時代のインターネット

インターネットとヴィクトリア朝というアンマッチなタイトル。一体何を題材にしたのかと思ったら、電信(テレグラフ)の歴史でした。いわゆる電報。
なんだー、電報かー。思わせぶりなタイトルめ、と読んでいくと、なぜ「インターネット」をタイトルにつけたのかがわかってきます。通信そのものではなく、その通信が人間関係を一挙に変化させたから。
テレグラフが登場する前は、伝達手段の最速は馬と人でした。当然、遠くのできごとになればなるほど、伝わる時間も長くかかります。航海が必要なほどの外国になると、何ヶ月単位。
だから18世紀以前の為政者たちは、自国軍が勝ったのか負けたのかを知るのもリアルタイムではありませんでした。いったい戦場はどんな状況なのかもさっぱり不明のまま、馬が帰って来るのを待つしかありません。
それが、テレグラフの登場で一挙に変わります。

まず光学式が登場。かっこいい最速なネーミングだけど、実際は山頂の塔から塔へ記号の合図を送って、情報を伝達する原始的な方法。しかし当時はそれでも非常に画期的なため、実用段階になると各国の王さまたちがこぞって設置したほどです。戦勝(あるいは戦敗)の報せが馬よりずっと早い。あとは、競馬の結果にも利用されました。

やがて電池を利用した電信が発明されて実用化されると、一気に世界中へ普及。1840年代の終わりに始まったものが、わずか30年後にピークを迎えるのですから、当時としてはかなり早いスピードです。
ただ初期ではまだ信号形式が統一されず、モールスが発明した2信号によって伝達しやすくなりました。点音と長音の組み合わでアルファベットをあてて、文章を作って送信。やがて略語が生まれ、さらに信号手たちが熟練していき、テレグラフは社会になくてはならない手段になります。

現代では当然の、オフィスビルの会社形式もテレグラフによって普及したもの。それぞれの階へ伝達するのに電信機械を使えば、即座に情報のやり取りが可能になるからです。それまでは伝達手段といえば、人が手紙を運ぶぐらいでしたから。
もちろん、株式の売り買いに活躍したり、遠方と商取引をしたりと、現代の経済活動の基礎が出来上がります。
そしてついに大西洋を横断するケーブルが敷設されると、世界中がテレグラフでつながります。人々が遠くの国々のニュースを数時間で知ることができるようになると、世界の距離が縮まると同時に、大量の情報を消費するようになります。

のんびりしていた社会の流れが早くなると、経済の動きも世界単位で動くようになり、めまぐるしく商品が消費されるように。まさにテレグラフは社会経済を変革させたテクノロジーそのものでした。
しかし電信の情報量を増やしていくうちに、ついに音声まで送受信ができるようになると(電話の登場)、テレグラフは一気に衰退してしまいます。新たな情報テクノロジーが登場したとたん、すぐに乗り替わるのも現代によく似ています。
インターネット内でも、サイト⇒ブログ⇒ミクシィ⇒ツイッター⇒フェイスブック、といった具合に数年単位で、コミュニティの変化がありますからね。若くないと、なかなかついていくのも大変です。

テレグラフの歴史はもちろん、信号手同士のコミュニティや恋愛、ハッカー、通信の秘密(暗号)、猜疑心と楽観的歓迎といったエピソードもありました。内容もマニアックにもかかわらず、読みやすくて面白かったです。
古めかしくローテクのようでいて、じつはかなりハイテク化していたヴィクトリア朝時代のことを学べます。現代の経済・社会基盤はテレグラフの登場で作られたのだな、と思わせる読後感でした。

投稿日2013年04月25日